今年も残すところわずかとなりました。忘年会シーズンではありますが、あえて今回は「忘れたくないもの」ということで、久々(第9回以来)に歴史の話をしようと思います。
最後には糖尿病の話も出てくるので、どうか最後まで読んでもらえると嬉しいです。
早速ですが「忘れたくないもの」とは、大河ドラマで学んだり覚えたりした歴史のことです。
何年か前から大河ドラマを全話チェックするようになったのですが、毎年最終回を迎えると「今年も終わりか~」と感慨深くなります。
以前は各話観終わったあと、気になった人物や出来事をネットで調べていたので、1話観るのにとても時間がかかっていました。最近ではYoutubeで解説や考察している動画がたくさんあり、手短に理解を深めることができるようになりました。
今年の大河ドラマ「光る君へ」は、平安時代が舞台でした。
大河ドラマで平安時代が扱われるのは「炎立つ(1993年7月~1994年3月)」以来、約30年ぶりだったようです。
平安貴族の文化や権力争いが描かれ、また多くの和歌や女流作家(「蜻蛉日記」の藤原道綱母や「枕草子」の清少納言や「栄花物語」の赤染衛門…)が登場し、まさに“オール平安“でした。古い時代のことなので史料は比較的少ないわけで、各所にファンタジー的な要素も混ぜ込まれているところも、歴史好きとしては心が躍りました。
話を戻しますが、今はまだしっかり頭に残っている、この時代のことを忘れたくない気持ちがあるわけです。
せっかく1年間大河ドラマを通じて覚えた歴史の知識(昨年なら徳川家康のこと、一昨年なら鎌倉幕府のこと)も、時が経つにつれて徐々に記憶から消えてしまいます。それは当たり前のことですし、おかしなことを言っている自覚はあります(笑)。ですが、今回はその備忘録として、もう少しお付き合いください。
「光る君へ」のなかで、私が最も忘れたくない人物の1人は藤原隆家でしょうか(ここから「藤原」は省きます)。
隆家の父は、道長の兄にして、道長の前の権力者である道隆です。つまり、隆家は道長の甥にあたります。
若い頃は兄の伊周とともに道長と激しい権力争いをくり広げ、花山法皇に矢を射る事件(長徳の変)を起こした人物です。“喧嘩っ早くやんちゃな貴族“というイメージでしょうか。
そんな隆家が目の病の療養も兼ねて大宰府に赴任していた頃に「刀伊の入寇」が起こります。
刀伊の入寇とは、刀伊(女真族の海賊)が対馬・壱岐、九州北部に侵攻し、甚大な被害をもたらした事件(1019年)です。隆家が指揮をとり、現地の武者と協力して刀伊を撃退しました。
九州での事件が、京都の朝廷に知らされるまで数日はかかるので、隆家は朝廷から指示を待たずに行動しました。もし、日本側の指揮官が朝廷からの指示を待つタイプの人物だったら、被害はさらに大きかったでしょう。
九州さらには中国地方まで攻め込まれ、今の日本はなかったかもしれません。隆家の勇敢さが日本を救ったといえるのではないでしょうか。
ここからは藤原道長についてです。
道長が国のトップに君臨していた間、大きな内乱はありませんでした。偉大な文学作品生まれ、文化が発展したのも、平和であったことが関係していると思います。
道長の人物像にはさまざまな言論がありますが、政治家として優れていたのは間違いないと思います。実際に道長の死後、武士の世の中へと時代は変遷していくわけです。
そんな藤原道長ですが、「日本で最初に糖尿病をもっていた人」としても有名です。自身の日記「御堂関白記」や、同時代を生きた藤原実資の日記「小右記」から、道長が糖尿病の合併症や併存症に苦しんでいたことがうかがえます。
道長は1027年に62才で亡くなりましたが、その10年ほど前から視力の低下がすすみ、晩年はほぼ視力を失っていました。糖尿病網膜症が原因だと考えられています。また、何度も胸痛発作を起こしており、これは糖尿病の併存症である虚血性心疾患の症状だと推測します。
亡くなる少し前には「背中の大きな腫れものができ、針で刺して膿を出した」との記録があり、糖尿病による免疫力低下が関連した感染症(膿瘍)の可能性が高いです。高血糖の方で膿瘍をつくるといえば、黄色ブドウ球菌による感染症だったのではないかと、私は考えています。この感染症が原因となり、人生に幕を下ろしたようです。
ところで、「貴族だった道長は、贅沢な暮らし(食べ過ぎ)をしていたから糖尿病になった」というような論説がありますが、私は賛同しません。道長の食生活を実際に見たわけではありませんし、「糖尿病=贅沢な暮らし」というのはスティグマ(差別、偏見)です。道長に肥満があったという記録がないことや、濃厚な家族歴(叔父の伊尹、兄の道隆、甥の伊周)から、体質の要素が大きかったのではないかと考えています。
当時は病気のことは分からず、当然のことながら治療法もありません。
道長が糖尿病に苦しんだ記録を知ると、糖尿病内科医としては心苦しい気持ちになります。
現在、私たちは血糖をマネジメントするための多くの方法を手にしています。そのことに感謝しつつ、糖尿病とともに生きる人が元気で長生きできるよう支援していきたいと、改めて思う今日この頃です。
第15回国際糖尿病会議(1994年)の記念切手に、道長とインスリン結晶が描かれています。
2024年12月23日