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院長ブログ-10 糖尿病、名前の歴史とこれから|糖尿病内科 むらまえクリニック

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糖尿病、名前の歴史とこれから

前回予告した通り、今回は「糖尿病」その名の歴史についてです。そして、その名に関する最近の話題についても紹介しようと思います。

 

紀元前2世紀にカッパドキアのアレテウス医師が書した記録に、「筋肉は溶けるがごとく急速に痩せ、死が急ぎ足でやってくる。(中略)口はカラカラに乾き、からだ全体が干からび、内臓はしなびてしまう。患者は嘔気、不穏な感じ、焼けるような口喝に苦しみ、まもなく息をひきとる。」とあります。

これは糖尿病のことを記した最古の記録とされています。糖尿病といっても、厳密には急性代謝失調というレベルのインスリン欠乏のことを指していると考えられます。当時は原因が分からず、もちろん治療法もありませんので、いわゆる末期のような状態です。アレテウス医師は、この病を『Diabetes』と命名しました。
元はギリシャ語で「あふれ出す」という意味のサイフォンを、ラテン語にしたのがDiabetesです。
同じ頃、中国で『消渇(しょうかち)』と表された記録があります。

 

18世紀には、イギリスで『Diabetes Mellitus』と名付けられました。Mellitusは「蜂蜜のように甘い」を意味するので、「この病では尿が甘くなる」と言われていたのかもしれません。

 

ここからは日本の話です。10世紀頃にはこの病は知られており、中国と同じく『消渇(しょうかち)』と呼ばれていました。ちなみに記録上、糖尿病をもっていた最初の日本人は藤原道長(966~1027年)です。江戸時代にはオランダ語で「尿が洪水のように出る」を意味する「pisvloed」という病名を翻訳して『尿崩』(西説内科摘要、1792年)と呼ばれていました。明治時代に入ると『蜜尿病』(内科摘要、1872年)が一般的に用いられるようになりました。これは尿崩症(下垂体ホルモンの異常)とは別の病気だと考えられるようになったためと推察されます。
『糖尿病』という言葉が初めて登場したのは検尿必携(1876年)という書物です。その頃には尿から糖が出ていることが分かっていました。当時は他にも『甘血』『糖血病』『葡萄糖尿』と様々な名前で呼ばれていました。1907年の内科学会講演会が契機となって『糖尿病』に統一され、現在に至るわけです。

 

読書をする人のイラスト

調べるとキリがなく、長くなってしまいました。まとめますと、糖尿病という名は病気の本質を表したものではなく、歴史を表していると言えます。すい臓から出るインスリンが主に関与する病気だと解明される前、糖尿病は何かしらの尿の異常(腎臓の病気)と考えられていました。その尿が「あふれ出る」に着目した名称(消渇や尿崩)と「甘い」に着目した名称(蜜尿病)が登場し、最終的に「甘い」路線の蜜尿病の蜜が糖に変わり、糖尿病という名が誕生したのです。
当時は主に尿の糖を検査することで病気を診断していたので、その名残と言うこともできます。

 

実はこの糖尿病という名が、近い将来なくなる可能性があります。糖尿病にまつわるスティグマ(差別や偏見)を払拭するためのアドボカシー活動の一環で、名称変更の議論が2022年秋頃からはじまりました。「名前に排泄物が入るのは好ましくない。」「不治といったイメージや一生合併症に苦しむといったイメージがつきまとう。」といった理由です。

そんな中、つい先日(2023年9月22日)日本糖尿病学会と日本糖尿病協会が合同で会見を行い、糖尿病の新しい呼称として『ダイアベティス』を提案すると発表しました。これは英名の『Diabetes』をそのままカタカナ表記したものです。今後も名称変更に向けた議論は続いていくでしょう。

 

私自身は、こうした歴史も含めて糖尿病という名に愛着があります。どんな名前であっても、その病に対するベストの治療を追求し、その病をもつ方が幸せな人生を送るのに少しでも役に立ちたいという、私の思いは変わりません。そんな思いも込めて、クリニック名にも「糖尿病」を入れています。

 

最後に、話は変わりますが、来月の14日は世界糖尿病デーです。この日はインスリンを発見したバンティング先生の誕生日です。バンティング先生がインスリンを発見したのは1921年で、1923年にはノーベル生理学・医学賞を受賞され・・また長くなってしまうので、今回はここまでにしておきます。

2023年10月13日